障害競走って何?普通の競馬との違いは?その特徴や活躍した名馬についても紹介!

障害競走って何?普通の競馬との違いは?その特徴や活躍した名馬についても紹介!

障害競走って何?

障害競走とは、走路上に設けられた障害物を跳び越して競走する競馬の一種目です。

障害や水濠の高さ,幅,深さなど一様でなく,また基準も設けられていません。

世界最大の障害競走といわれ,イギリスのリバプールにあるエントリー競馬場で行なわれるグランド・ナショナルは,距離約 7200m,障害数 30以上で,毎年完走馬が全出走馬の半数にも満たない過酷なレースとして知られています。

日本では中山大障害,中山グランドジャンプが特に有名です。

他の競走に比べてあまり人気がない日本と違って,外国ではアマチュア騎手の活躍もあり,平地競走に劣らない人気を集めています。

またこの競走が一般に競馬と馬術競技の接点の役割を果たすとする主張もあります。

出走馬の品種はサラブレッドが大多数を占めるが,ほかにハンター種,アングロ=ノルマン種などの出走を認めている国もあります。

今回はそんな障害競走についてご紹介していきたいと思います。

障害競走の起源

障害競走の起源には狩猟の文化が強く影響しており、初期の競走には馬に乗って猟犬を追いかけるものもありました。

最初の障害競走は1752年にアイルランドにおいてコーネリアス・オーカラガンとエドマンド・ブレークとの間で行われた、バターバント教会からセントレジャー教会の尖塔(Steeple)を目指してのマッチレースであるとされます。

初期の障害競走は競馬場で行われるものではなく、クロスカントリーの形式で行われ、障害もレースのために用意されたものでなく、牧場の囲いや小川、天然の生垣などを飛越していました。

発馬地点や走路に明確な規定はなく、通過すべき障害の地点に係員が立ち、旗を振って誘導を行いました。

当時の障害競走は未整備の原野で行われたため騎手、馬ともに大変危険を伴ったため、良馬を潰してしまうという批判が根強かったが、イギリス及びアイルランドで民衆の熱狂的な支持を集めたが、平地競走におけるジョッキークラブのような統括組織が存在しなかったため、施行規則が整備されず不正も横行しました。

しかし19世紀に入ると競馬場や人工の固定障害などが用意されはじめ、1821年には初のハードル競走がイギリスのブリストル近郊のダータムダウンで開催、1830年代よりチェルトナム競馬場、そしてエイントリー競馬場が障害競走の中心地として認められるようになり、1836年にはエイントリー競馬場でグランドナショナルが創設されました。

1863年にイギリスの障害競走の全国統一機関であるNational Hunt Committeeが誕生し、1870年ごろまでに施行規則を整備し、1969年にジョッキークラブの傘下として統合されました。

出走資格

中央場所の6回目の開催(高松宮記念の週)から4歳馬の出走が可能になりました。

それ以前は、4歳以下の馬は障害競走に出ることができなかったので、障害競走のデビューは早くても4歳の5月でした。

しかし、数え年で4歳になっていない馬の出走は認められていないとのこと。

それ以降は、性別、馬齢に関係なく出走が可能となりました。

また障害競走に出走するには、障害試験に合格していることが絶対条件で、これに関しては、障害競走を安全に施行されるために必要とし、合格していない馬は出走できません。

障害競走の競走馬

現在はサラブレッドであることがほとんどであり、日本やアメリカではサラブレッドに限定されていますが、フランスなどでは非サラブレッドの競走馬も出走しています。

最初から障害競走用として生産される馬と、平地競走から転向する馬と二通りがありますが、ヨーロッパ以外の地域では平地競走からの転向が大半です。

また、オセアニアを中心に障害競走に出走するようになってもシーズンオフなどに平地競走にも出走する馬も多いです。

英愛では特にバンパーでレースの経験を積み、その後ハードルへと駒を進め、飛越が上達すればチェイスへと進むという手順を踏むことが一般的です。

それとは別に、アマチュア障害競走のPoint-to-Pointで経験を積んだ馬が転向しているケースも珍しくないです。

身体能力以外に飛越技術も問われるため、平地に比べて経験の豊富な高齢馬が活躍しやすいです。

障害競走でデビューする前に、気性を抑えて扱いやすくしたり、けがを防止するためほぼすべての牡馬は去勢し騙馬となります。

そのため障害馬の種牡馬は基本的に平地競走馬であり、平地競走よりスタミナが豊富な種牡馬が好まれますが、日本では騸馬が極端に少なく、多くの馬が去勢されることのないままレースに出走しています。

障害競走の騎手

日本では競馬学校設立以前は、障害競走のみの騎乗免許も取得可能でしたが、現在の中央競馬の騎手は競馬学校を卒業した若手選手は平地と障害両方の免許を取得します。

それ以外の機種に関しては、海外・地方競馬から移籍した騎手は全員平地のみの取得であり、唯一馬術競技から転身した小牧加矢太は障害のみの取得となっています。

以前のケースでは、年齢を経るごとに体重が重くなった騎手が、平地免許を返上して障害専門騎手になるケースが多かったです。

現在は、平地との斤量差が小さいこと、そして障害競走の競走数の問題もあり、障害競走専門の騎手は減少し、多くの騎手が平地競争への騎乗も行っています。

かつては岡部幸雄、南井克巳、的場均、横山典弘、柴田善臣などといった平地でもトップクラスの騎手も、デビューから数年間は障害競走にも騎乗した経験があり、いずれも勝利を挙げるなど、障害戦の騎乗は一般的に行われていました。

1984年のグレード制導入以降、熊沢重文や岡冨俊一などのように障害戦との騎乗を両立させながら平地・障害双方の重賞を制した騎手も複数存在します。

ただし、障害競走は落馬の発生が平地競走よりも多く、平地競走よりもリスクが高いと考えられているようで、賞金に対する騎手の取り分が7%と平地における5%より多くなっており、また騎乗手当も平地を上回っています。

こうしたリスクもあって、若手騎手のうちは両方の免許を持っていても、平地である程度活躍するなどして、一度も障害競走に騎乗することが無く障害競走の免許を返上するケースがあります。

また、小島貞博や根本康広のように障害戦で重賞を勝利した騎手が、年齢を経て平地での騎乗が多くなるようになり、障害競走に通年で騎乗する騎手が少ない状況にあります。

その結果、2013年1月20日には、前日1月19日に2名の障害騎手が落馬負傷し、20日に障害競走に普段から騎乗している騎手が他にいなかったために、騎乗予定だった2頭いずれも出走取消になる事態が発生しています。

2014年以降は、重賞や一部のオープン特別を除き、第三場での開催が基本となるように改善されたため、障害を主戦に転向した若手騎手が若手騎手限定競走に参加しやすくなるなど改善されました。

また、同一日に同一施行場で障害競走が複数回組まれる場合は、原則として出走頭数が多い競走が先に行われます。

欧米ではアマチュア騎手との交流が盛んで、1990年にミスターフリスクでグランドナショナルに優勝したマーカス・アーミテージなど多くのアマチュア騎手が大レースを制しています。

また、英愛では競走数が多いこともあり、トニー・マッコイが2001/02シーズンに記録した289勝は平地競走のそれを上回っています。

障害競走の特徴

生涯レースは平地レースと大きく異なるので、予想をする時には障害レースでの特徴や傾向を掴むことが大事です。

求められる能力も変わってくるので、平地レースと同じように予想していては馬券も当たりません。

障害レースでの過去のデータを基に、分析していくことが必要になってきます。

スタミナで決まる

障害レースでは、とにかくスタミナが求められます。

距離は3000m~4000mという長距離で行われ、芝やダートの両方を走り障害も飛越するという過酷なレースです。

スタミナが切れてしまい障害で脚をひっかけてしまうという事もあり、馬にとっては最後まで走り切ることすら難しいのです。

また、障害を飛越する直前にスピードを落とすので、スピードを上げてもすぐに減速しなければなりません。

スピードがあっても活かし切れないコースとなっているので、障害レースではスピードよりも圧倒的にスタミナが重要となってきます。

障害レースを得意としている代表的な種牡馬がオペラハウスですが、これは欧州馬のスタミナ豊富な点が産駒に伝わっているからだと考えられます。

オペラハウスの父は欧州の大種牡馬サドラーズウェルズであり、タフなレースにおいてサドラーズウェルズの血が大事になってきます。

オペラハウス産駒のテイエムオペラオーも種牡馬となって障害レースで活躍する馬を輩出しているので、スタミナの面で決定的な裏付けがある馬はねらい目です。

逆に、スピード血統の馬は障害レースに向いていないと言えるので、予想をする時には出走馬の血統もチェックしてみたい所です。

タフなレースに耐えられるスタミナがあるかどうかを判断し、独自の穴馬を見つけてみてください。

逃げ・先行馬が有利

障害レースでは、逃げ・先行馬が有利な傾向が見られます。

障害レースで逃げ・先行馬が有利なのは、障害を飛越する際に何度も減速をする必要があるからです。

何度も減速をしないといけないので、後方からポジションを上げていくことは簡単ではありません。

レース序盤である程度の前目につけることが大事です。

逃げ・先行馬が有利な点としては、最後の直線で一気に抜きされるほどのスタミナが残っていないことも挙げられます。

逃げ・先行馬もスタミナを使い果たしていますが、後方にいた馬も同様にスタミナを消耗していて距離が離れていれば並ぶことも難しくなります。

レース後半で追い上げたいという場面で、障害の飛越のために減速を余儀なくされることもあるので、追い込みはなかなか決まりません。

スタミナ豊富な逃げ馬はゴール前まで粘り強い走りを見せるので、後方から捕まえ切るのは難しいのです。

平地レースでは直線の長い競馬場だと逃げ・先行馬が不利になる傾向も見られますが、障害レースでは逃げ・先行馬を積極的に狙ってみてください。

障害経験が重要

障害レースにおいては、障害の経験が非常に重要です。

初めて障害レースに走る馬は、障害に戸惑ってしまって力を発揮することができません。

逆に平地から障害へと転向し、何度が経験を積んだことで一変することもあります。

初めての障害レースでは雰囲気も大きく違うので馬が物見をしたり、走りにばらつきがあったりします。

障害経験の少ない馬については騎手がまずは障害レースというものを覚えさせようとするので、無理にレースで勝とうとはしません。

徐々にステップアップを心掛けていくので、障害初挑戦の馬を信頼しすぎるのは禁物です。

はじめから障害で強い馬はなかなかいないので、障害レースの予想をするときには障害経験もチェックするようにしてください。

過去に障害レースで活躍した名馬紹介

障害レースは平地レースほど注目されることはありませんが、これまで障害レースで勝ち続けた名馬たちはたくさんいます。

注目度が低い障害レースですが、G1となると平地レースでのG2ほどの賞金は出ます。

障害G1を何度も勝てばかなりの賞金を稼ぐことができるので、馬主としても勝ちたいレースの一つです。

それでは、障害レースをより楽しむために、これまで活躍してきた名馬たちを紹介します。

障害レースで無類の強さを発揮した名馬で、普段障害レースを見ない競馬ファンでも名前を知っている馬たちです。

障害レースで活躍した名馬たちのこともチェックして、障害レースの魅力を感じてください。

オジュウチョウサン

障害レースで今現在も活躍している名馬が、オジュウチョウサンです。

オジュウチョウサンは、平地G1の有馬記念にも出走したことで話題になりました。

有馬記念では9着に敗れてしまいましたが、障害レースに戻って再びG1を勝っています。

2020年7月現在でJ・G1を7勝していて、勝利数をどこまで伸ばすか注目です。

オジュウチョウサンの優れている点は、豊富なスタミナです。

2018年の中山グランドジャンプでは上がり3ハロン36秒9というタイムを叩き出しましたが、これは簡単に出せるタイムではありません。

4000mを超えるレースにおいて上がり3ハロン36秒9を驚異的で、ゴール前までしっかりと伸びていることがわかります。

上がり3ハロン36秒9を出されてしまうと、他の馬もお手上げです。

ほとんどの馬が止まっている中で最後まで伸びきれるスタミナを持っているので、今後の障害レースにおいても注目の存在です。

9歳となった2020年もJ・G1を勝つ活躍を見せているので、衰えていない点殻も目が離せません。

またオジュウチョウサンの走りを見たことがない方は、是非オジュウチョウサンのレースを見てみてください。

ゴーカイ

名ジャンパーとして2000年頃に名を馳せたのが、ゴーカイです。

ゴーカイはデビュー当初は平地レースに出走し未勝利戦を勝ち上がりますが、500万下のレースでは勝てずに伸び悩んでいました。

6歳になったころに障害へと転向することになりますが、1戦目、2戦目は着外に敗れてしまいます。

ところが、3戦目の外国障害騎手招待競走で2着と好走すると、現在はJ・G3に指定されている東京オータムジャンプで見事勝利しました。

2000年には中山グランドジャンプ、東京ハイジャンプを勝利し、JRA賞最優秀障害馬に選出された名ジャンパーです。

障害28戦で落馬による競走中止はなく、28戦16連対(8勝2着8回)という輝かしい成績を残しました。

オジュウチョウサンの活躍から、ゴーカイのことを思い出した競馬ファンも多いのではないでしょうか。

綺麗な飛越姿勢で多くのファンを魅了したゴーカイは、今後も語り継がれていく名馬です。

まとめ

今回の記事では障害競走についてご紹介していきました。

障害レースは平地レースとはルールや予想の方法、コツは異なるため、障害レースに合わせた予想を行う必要があります。

競走馬が障害を飛び越える瞬間は迫力があり、平地レースとはまた違った楽しみがあります。

是非今回ご紹介させていただいた内容を参考にして、障害レースを楽しんでみてください。

本間真一郎

1978年12月22日生。東京大学経済学部中退。 某大手商社で役職に就く典型的なエリートでかなりの知的派。その一方で趣味の競馬歴は既に20年を超えており、2021年のエリ女で3連単を的中させたことを未だに友人に自慢している。 好きな馬はもちろんアカイイト。 趣味は車とウイスキー。最近横浜にバーを開店させたオーナーとしての一面もある。 好きな言葉は「明日の百より今日の五十」。

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