南関競馬って何?普通の競馬との違いは?テレビやネットで見られる場所などを紹介!

南関競馬って何?普通の競馬との違いは?テレビやネットで見られる場所などを紹介!

南関競馬って何?

南関競馬とは、南関東公営競馬とは、日本の関東地方に存在する地方競馬場である大井競馬場・船橋競馬場・浦和競馬場・川崎競馬場の4競馬場において施行されている競馬の総称で、南関東4競馬場とも呼ばれています。

関東地方で行われる中央競馬と競合することもあり、現在は原則として月曜日から金曜日にかけてのウィークデイに開催されています。

またおおむね3月半ばから12月にかけては、大井競馬場ではトゥインクルレース、川崎競馬場ではスパーキングナイターと名付けられたナイター競走が施行され、2015年からは船橋競馬場でもハートビートナイターという愛称でナイター開催が始まりました。

施行者間の協議機関である関東地方公営競馬協議会により、開催日程の調整や人員の共通化が図られ、そのほか南関東三冠、南関東牝馬三冠に代表される重賞戦線の一体化、A1クラスからC3クラスまでの競走馬の格付け基準の統一的な整備、馬券発売の合理化(東京都競馬による馬券発売システムの共通化と相互場間発売・払戻、電話・インターネット投票「SPAT4」)などを展開しています。

結果として地方競馬としての施行者こそそれぞれ異なるものの、概ね一体的な競馬のシステム構築を実現しています。

今回はそんな南関競馬についてご紹介していきたいと思います。

競走

人口の多い首都圏にあることなどに支えられ地方競馬の中では売り上げ規模が突出しており、賞金水準も比較して高いです。

ダートグレード競走についても、GI級競走となっている12個のうち、川崎記念・かしわ記念・帝王賞・ジャパンダートダービー・全日本2歳優駿・東京大賞典と、実にその半数が施行されています。

2024年には羽田盃、東京ダービー、さきたま盃のJpnIへの昇格が予定されており、これにより南関4場でGI級競争15個中9個を占めるとなるだけでなく、4場すべてでGI級競争の常設施行が設定されることになります。

地方競馬場での持ち周り開催となっているJBC競走についても、開催予定を含む2023年までの23回の開催のうち14回が南関東での施行となっています。

また1955年より中央競馬に準じて独自に重賞競走を施行しており、1997年からは中央競馬との統一グレードとは別に南関東独自のぐれーそを設けました。

統一グレード競走との混同を避けるためにグレードの数字はローマ字を用いた「GI・GII・GIII」という表記ではなく、アラビア数字を用いた「G1・G2・G3」という表記を採用していましたが、日本が国際パートI国になった2007年3月より「SI・SII・SIII」に変更されました。

売り上げの低迷により近年は削減傾向が続いていましたが、増額の兆しを見せ始めており、東京ダービーを筆頭に南関東競馬限定の重賞であっても中央競馬のオープンクラスに匹敵する賞金規模を誇る競走も存在します。

競走馬・騎手・調教師

競走馬、調教師、騎手は原則としていずれかの競馬場に所属します。

大井競馬場と船橋競馬場は競馬場に隣接する厩舎地区があるほか、大井競馬場は千葉県印西市小林に小林分場を、浦和競馬場は埼玉県さいたま市野田に、川崎競馬場については神奈川県川崎市幸区小向にそれぞれ独自のトレーニングセンターを有しています。

原則的に調教師は以上のいずれかで馬房を借り競走馬を管理する事となりますが、2006年より調教師個人が民間より調教施設を借り受け調教することができる認定厩舎制度が導入され、もとは高崎競馬場のトレーニングセンターであった境共同トレーニングセンターをはじめ、2014年3月6日現在で合計202の馬房が外部に存在しています。

競走馬の格付けに関しては、原則として1着賞金だけが基準となる中央競馬と異なり競走により獲得した全賞金を一部補正して算出される番組賞金に基づいて、A1・A2・B1・B2・B3・C1・C2・C3の全8クラスのいずれかに格付けされます。

各馬は毎年1月と7月に、馬齢ごとに定められた基準賞金に基づいてクラスが決まります。

2歳馬・3歳馬はそれぞれ馬齢限定で獲得賞金額による条件競走を行っていき、3歳2月にA1、3月にA2、4月にA3…というように各クラスの基準賞金に達した馬から順に格付けされていきます。

そして4歳1月にC2の基準賞金に達していない馬がC3となります。

なお2013年まではA3クラスと4歳条件戦も設けられていたが、2014年より廃止となっています。

また現在、地方競馬の他地区から4歳以降に転入してくる競走馬については、実際の獲得賞金にかかわらず強制的に番組賞金を変更する規定も存在します。

この格付けは4場共通ですが、出走奨励金の問題などにより条件馬については自場開催を中心に出走することが多いです。

開催毎に出走登録された競走馬は、重賞等一部の競走を除けば各クラスごとに番組賞金と馬齢を考慮し上位の馬から「組」として分割され、これが番組編成の基本単位となります。

組は漢数字で表され、またB3(三)C1(一)、C3(十三)(十四)(十五)のように、複数の組を組み合わせて競走を編成することも多いです。

またB3とC1のように複数クラスで編成されるレースでは、低いクラスの馬は負担重量が2kg軽くなります。

騎手については、馬主副制度の中央競馬とは異なり騎手ごとに定められた騎手服を着用し騎乗します。

長らく厩舎への所属を義務付けられていましたが、2012年4月1日より中央競馬のフリー騎手に相当する騎手会所属騎手制度が導入されました。

また、他地区の若手騎手やリーディング上位機種、外国人騎手や海外の競馬を主戦としている日本人騎手を短期免許で受け入れています。

南関競馬の歴史

南関東公営競馬を構成している4競馬場は、いずれも第二次世界大戦終結後に建設されたものです。

それぞれ直接の前身としては、浦和競馬場・船橋競馬場・大井競馬場・川崎競馬場が挙げられます。

これらは少なくとも戦中の軍馬資源保護法に基づいて競馬を施行し、戦後も競馬法による後衛改善の地方競馬時代には各都県の馬匹連合によって競馬が執り行われましたが、概して交通の便が悪く開催成績は低迷していました。

新興の公営競輪や競艇が比較的中心部に立地していたこともあり、1950年までに公共交通機関によるアクセスが容易な現在の位置への競馬場移転が進められます。

また早くも1954年2月1日には関東地方競馬組合が設立され、主催者間の調整が進められる下地となりました。

これにより、とりわけ八王子時代は1,800万円程度だった開催1日当たりの売上が大井移転後は8600万円まで急増するなど、南関東公営競馬は順調に発展を続けていきます。

1955年には4場合わせて90億円ほどだった売上は5年後の1960年には200億円近くと倍増し、1969年度にはついに1000億円の大台を突破しました。

またこの黎明期の時代には様々な新取の施策が取り入れられています。

一例として、1948年3月にはスターティングゲートを1950年4月にはパトロール・フィルムを国営競馬に先駆けて導入、競馬至高の公表性をいち早く担保しました。

馬券発売におけるトータリゼーターの導入も、1956年9月の浦和競馬場の例が本邦初です。

また戦後直後は食糧増産のために馬産の再開が遅れたことから、大井はオーストラリアより1952年に牝馬30頭、翌1953年にも同じく牡馬6頭・牝馬14頭のサラブレッドを独自に輸入。

これらの濠サラからは国営競馬に転じて天皇賞・秋を制したオパールオーキツド、ミツドフアームらの強豪が現れました。

またそれ以前にも川崎の開設記念や船橋の平和賞のように独自に特別レースを制定していた例はあったが、1955年より南関東競馬として重賞制度の運用を開始します。

東京大賞典や金盃のような現在まで60回近い回次を数える重賞競走たちが、その後の数年間で相次いで創設されました。

人材の面でも従来の各競馬場や羽田競馬場系はもとより、大井競馬場では高崎出身の塩野奈々楼門化が一大派閥を形成し、また戦前は統計地方を拠点に武田文吾らに対して「東の山本」と謳われた栗田金吾も多いで厩舎を開業するなど、関東一円、更には全国各地から人材が集まりました。

先ほど挙げたように豪サラ購買に当たって実地に富んだ得居喜一も、陸軍騎兵学校出身の元中佐であり、戦前は軍馬購買にその手腕を発揮した人物です。

更には啓衆社の創業者であった白井新平は戦前に引き続き地方競馬との繋がりを保ち、1960年より中央競馬の啓衆社賞の南関東版といえる公営日本一を制定するなどしています。

競走馬についても、サラブレッドは高額の賞金を狙う国営競馬、中央競馬からの移籍馬がおおむね上位を形成していましたが、早くも

早くも1951年には川崎の抽選馬出身のキヨフジが国営競馬へ移籍し優駿牝馬を制しています。

その後はゴールデンウエーブ、ダイゴホマレ、オンスロート、タカマガハラなどが中央競馬へと移籍して華々しい戦績を残したほか、船橋の出川己代造調教師が管理したダイニコトブキ、ダイサンコトブキらは生え抜きのサラブレッドとして春の鞍と秋の鞍を制覇するなど活躍。

1964年からは東京王冠賞が創設されたことで南関東三冠が成立したが、1967年にこれを初めて達成したヒカルタカイは翌年中央競馬へ移籍すると、天皇賞 (春)で2.8秒差の大差勝ちを収めています。

またアングロアラブでは早々にホウセント、フクパークの活躍により中央競馬に地方競馬の自由購買馬が参戦できなくなったことから、全国の地方競馬場の強豪らが賞金の高い南関東へと集まりました

タカトシ、ミヤマシユーホー、タガミホマレ、センジユスガタなどがその代表例で、中にはトモスベビー、センジユのように、サラブレッド系競走へと挑戦し勝利する名馬も現われました。

ハイセイコーと低迷の時代

1972年、大井競馬場でのちに国民的アイドルホースとして第一次競馬ブームを担うハイセイコーがデビューします。

6戦6勝で青雲賞を制した後に中央競馬へと移籍していったこのハイセイコーの活躍に押されて南関東競馬も売上を伸ばし、1973年度のは総売上が2,000億円を突破しました。

ところが、これ以後は70年代を通じて第一次オイルショックの狂乱物価によるインフレにもかかわらず額面上の売上額は純化し、1980年の2,445億円を一つのピークとして減少に転じます。

そして1984年には、1,800億円を割るまでに落ち込みました。

これに前後する時期は、南関東競馬にとっては難問が続きました。

1961年の川崎事件のような騒擾事件には過去にもあったとはいえ、1968年には7月30日に浦和で穴馬同士の決着にもかかわらず異常な低配当であったことに端を発する300人規模の騒擾事件が発生したと思うと、その翌日には当時23歳ながらリーディング上位につけていた福永尚武が別件の八百長による競馬法違反で逮捕されています。

1972年8月には大井でやはり若手騎手による八百長事件が発覚し、これ以後山岡事件で中央競馬に導入された調整ルームと同様の施策が南関東競馬でも採られることとなりました。

さらに1968年には延長を続けていた八王子市ら指定し分の開催権が消滅し、1969年1月には美濃部亮吉都知事が都営ギャンブルを「社会的公害」として、都営の大井競馬開催を含めたその廃止を発表しています。

実際のところ、1980年代初頭の船橋などは、特観席(指定席)をノミ屋が占領しているようなことすらある有様でした。

競走馬についても、中央競馬への移籍はカツアールが成功した程度であり、ハツシバオー、ゴールデンリボー、サンオーイら南関東三冠馬や、アズマキングなどもパッとしない戦績に終わっています。

1973年より中央側で地方競馬招待競走が、大井競馬場で中央競馬招待競走が施行されましたが、お互いに地元では勝ち星を挙げるも相手側に乗り込むと奮いませんでした。

アングロアラブについては、1960年代後半には他地区の地方競馬場も売り上げを伸ばし、とりわけアングロアラブのみで競馬を施行していた兵庫県競馬組合の賞金水準は南関東競馬のアラブ競走を上回るまでになりました。

1972年には南関東アラブ三冠に1冠目・千鳥賞を目前に控えながら、タイムラインが2,000万円もの高額で園田競馬場へと引き抜かれています。

その他ミスダイリンや金貨一富士に代表されるように道営競馬や東海地区所属馬の強豪も登場し、アラブ大賞典は1972年より全国交流の全日本アラブ大賞典となって、その対決の場を提供しました。

一方で、1973年より同じく全国交流課された園田競馬場で行われる楠賞全日本アラブ優駿へ南関東公営競馬所属馬も遠征しており、ホクトライデン、トライバルセンプーらがこの時期の同競走を制しています。

打ち出される振興策

1983年には大井で特別区後衛競技対策協議会が、1984年に川崎でも競馬存廃検討委員会が組織される状況を受け、南関東公営競馬でもいくつかの振興策が打ち出されました。

昼休みのサラリーマンを狙った外向き発売口の設置、浦和競馬場での6枠連勝単式馬券の復活、大井における電話投票の開始などがその例です。

そして1986年7月31日には「大井競馬場の総合レジャーランド化」「イメージチェンジ」を目指し、大出日本初となるナイター競馬が開催されました。

また1988年には川崎と船橋の間で相互場外発売が始まり、1998年までに4場間での全開催場外発売が実現しました。

1987年には、都市部の場外としてofft後楽園が開設されています。

競走面では、ホスピタリティが「ハイセイコーの再来」と騒がれ中央競馬で活躍したのを皮切りとし、1985年牡地方競馬招待競走をテツノカチドキが制すると、そのテツノカチドキを東京記念で破りジャパンカップへと出走したロツキータイガーがシンボリルドルフの2着となる大健闘。

その後も中央競馬へ移籍し平成三強の一角を担ったイナリワンや、牝馬ながら南関東三冠を制したロジータといった活躍馬が出現しています。

また、1985年には川崎の全日本3歳優駿、全日本アラブ争覇が地方競馬全国交流に、そして1986年からは帝王賞が距離を2000mに短縮した上で中央競馬招待・地方競馬全国交流競走となるなど、他地区との交流も進展しました。

笠松競馬所属のフエートノーザンが1989年の帝王賞を制したほか、中央競馬側で地方競馬所属馬に解放されたオールカマーでは大井・赤間清松厩舎所属のジョージモナークが勝利を納めています。

そのほか、東京大賞典を目指して岩手競馬より短期移籍で挑戦したスイフトセイダイや、カウンテスアップ、ダイコウガルダン、スルガスペインなど、地方競馬の他地区から有力馬が南関東へと転入して活躍しました。

一方で、アングロアラブ競走馬はその在厩数が年々減少していきました。

かつては全日本アラブ大賞典と並び立った川崎のアラブチャンピオンが1985年を最後に廃止されるなど、競走面での縮小も続き、1993年には、南関東アラブ三冠を構成していた千鳥賞、アラブ王冠賞も廃止されています。

北関東から転じてサラブレッドを相手に気を吐いたトチノミネフジらの活躍馬も出たものの、中央競馬が1995年限りでアングロアラブ競馬を廃止したのと間を置かずして、大井が1996年限りでのアングロアラブ競走からの撤退を発表。

1996年には他3場もアングロアラブ系の重賞競走を全廃し、98年より3歳馬の新規入厩を停止し、1999年をもって、アングロアラブによる競走は南関東から姿を消しました。

開放元年以後

1995年より、「開放元年」と称される・地方競馬間での大幅な交流開放が始まりました。

南関東でも東京大賞典をはじめ多くの重賞が交流競走に指定され、1997年からは同競走は帝王賞と併せて統一ダートグレードによるGI競走となっています。

これ以後、ライブリマウントやホクトベガを皮切りに、数多くの中央競走の強豪が南関東を舞台として活躍するようになりました。

またトーホウエンペラー・メイセイオペラのような岩手競馬所属、アブクマボーロやトーシンブリザード、アジュディミツオー、フリオーソといった南関東の名馬らも覇を争いました。

2001年から始まったJBC競走についても、2007年にフジノウェーブが地方競馬所属馬で初の勝利を挙げています。

廃止された地方競馬から御神本訓史、森泰斗、杉村一樹、山田信大、楢崎功祐らの騎手を受け入れましたが、一方で2008年に内田博幸2013年に戸崎圭太とリーディングジョッキーが中央競馬へと移籍しています。

またアングロアラブ競走の廃止と統一グレード競走の新設で競走体系が大きく変動する中、南関東三冠を構成していた東京王冠賞が廃止されるなどしています。

競馬の国際化へも対応すべく、大井は1995年にアメリカのサンタアニタパーク競走馬と提携、2008年には海外の既走競走馬の出走を実験的に認めました。

2011年には東京大賞典を国際GIとした上でサンタアニタトロフィーに海外より招待馬を招待し、2013年からは韓国馬事会のソウル競馬場との間で互いにこうりゅう競争を実施しています。

南関東地方競馬中継

南関東地方競馬中継とは、大井、川崎、浦和、船橋、の4つの競馬場で開催されている競馬を中継しているテレビ番組で、1999年8月2日に放送開始されました。

スカパー・ブロードキャスティングがスカパー!Ch.120で放送する「南関東地方競馬チャンネル」では大井、川崎、船橋の各競馬場で開催されるレースを全レース放送しており、そのうち大井競馬の中継は『東京シティ競馬実況中継』、それ以外の3場の中継を『南関東地方競馬中継』として放送しています。

「南関東地方競馬シリーズ」として両番組の視聴契約をする方式で、料金は月額1,080円となっています。

南関東地方競馬中継では前半は司会者1名のみでの放送となりますが後半は南関東公営競馬の競馬新聞を発行している隠しから解説者を招き、パドック解説やレース展望・回顧などを行っています。

パドックやレース映像、実況は競馬中継では前半は司会者1名のみでの放送となりますが、後半は南関東公営競馬の競馬新聞を発行している隠しから解説者を招き、パドック解説やレース展望・回顧などを行っています。

パドックやレース映像、実況は競馬場内の放送と同じものを使用しています。

スタジオのセットは東京シティ競馬中継と同じものだが各競馬場にあわせてマスコット人形を置いたり、ロゴを変更したりしています。

当初はディレクTVでスタートしましたがディレクTVの経営不振による撤退と視聴者のスカパー!移行に伴い、スカパー!での放送に移行しました。

標準画質からHD画質への移行にともない、Ch.120は2014年5月31日に放送終了しました。

HD画質のCh.678が放送を開始しており、視聴を継続するためには契約変更手続きと、スカパーHDチューナーが必要となります。

2021年10月1日からひかりTVでの配信を開始しました。

ネット局

開催地の地元放送局では地上デジタル放送の032chで各開催日のメインレースを中心とする2時間枠で放送。

2010年4月12日より、千葉テレビ放送(チバテレ)では船橋競馬開催時に限り放送。以前は15:30~17:00に放送されていました。

2018年度より船橋競馬が通年ナイター開催となるため、1月・2月は18:30~20:30、3月~12月までは19:00~21:00に放送時間を設定しています。

なお、毎年7月の『夏の高校野球千葉大会』中継時および『テレビ傍聴席』放送日は、船橋競馬開催があっても放送されません。

2016年5月24日よりテレビ神奈川(tvk)でも川崎競馬場開催時に限り放送を行っています。

また2016年度は開催全日程ではなく火・水曜中心に放送しており、2017年度より開催全日程で中継を行っています。

2017年4月26日からテレビ埼玉(テレ玉)でも浦和競馬開催時に限り放送を行います。

2017年度は14時から18時までのうちの2時間枠において重賞開催日の水曜を中心に13回放送されています。

2018年度より開催全日程で中継を行っており、2022年度より3時間枠で放送しています。

tvk、チバテレではワンセグでも放送を行っています。

まとめ

今回の記事では、南関競馬についてご紹介していきました。

南関競馬では夏を主として、トゥインクルレース(夜間競馬を開催しているという特徴があります。

最近では帝王賞、東京大賞典、川崎記念など、JRAのフェブラリーSやジャパンカップダートとも肩を並べるとファンに認知されつつあるレースも増えてきました。

仕事帰りでも楽しむことができるので、先輩・後輩・同僚などと一緒に競馬観戦を楽しんではいかがでしょうか。

本間真一郎

1978年12月22日生。東京大学経済学部中退。 某大手商社で役職に就く典型的なエリートでかなりの知的派。その一方で趣味の競馬歴は既に20年を超えており、2021年のエリ女で3連単を的中させたことを未だに友人に自慢している。 好きな馬はもちろんアカイイト。 趣味は車とウイスキー。最近横浜にバーを開店させたオーナーとしての一面もある。 好きな言葉は「明日の百より今日の五十」。

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