美浦トレーニングセンターってなに?栗東トレーニングセンターとの違いは?

美浦トレーニングセンターってなに?栗東トレーニングセンターとの違いは?

 

競馬初心者

競馬の予想とか調べてるときに「美浦の馬は~」とか書いてあったりするけど、結局これって何を指してるの?

確かに競馬の情報を集めているときに美浦という単語が出てくることが多いですが、どこの事を指しているのかわかりませんよね
ここではそういった疑問を解決していきたいと思います。

管理人

ここではJRAの施設の一つであり、関東の厩舎にいる競走馬が調教を行う「美浦トレーニングセンター」について紹介していきます。

 

美浦トレーニングセンターの基本情報について

まずは「美浦トレーニングセンター」について見ていきましょう。

美浦トレーニングセンターは、茨城県稲敷郡美浦村にあるJRAのトレーニングセンターの一つで、よく「美浦トレセン」や「美浦」といった略し方をされます。

トレーニングセンター内には、各調教師が運営を行っている厩舎や競走馬の調教を行うための様々なコースが用意されたりと競走馬のための施設となっています。

また、トレセン敷地内にはJRA職員や厩舎関係者などの競馬関係者とその家族が暮らしており、美浦村の人口の約3割を占めているようです。

ちなみに、美浦トレセンという名前ですが実は完全に美浦村の中に入り切っているわけではなく、南馬場の一部とその西側に位置している厩舎の数棟は茨城県稲敷市江戸崎に所在しており、中には市境をまたいで立っている厩舎も存在しています。

美浦トレセンの歴史について

美浦トレセンが出来る前までは東京競馬場中山競馬場と現在競馬学校がある場所にあった中山競馬場白井分場の3箇所で調教を行っておりました。

しかし、調教に必要なコースが十分確保されていないことや馬場を保護するためにコースの内外を区分して調教を行っていたりと難しいやりくりが必要だった上に、競馬場周辺地域で開発が進展しており、競馬場周辺の環境問題にも対応する必要が出てきました。

そこで休養場の保養所兼育成調教場として東京西部に東京競馬場の分厩舎を新設しようと計画していましたが、地価が高騰した影響を受けて断念しました。

分厩舎断念から2年後の1961年にトレーニングセンター構想と厩舎を競馬場から移転させる計画が具体化しました。

1967年に最終候補地が3カ所まで絞られて、その中に茨城県稲敷郡美浦村も入っていました。

茨城県稲敷郡美浦村は新東京国際空港の誘致を逃していたこともあり、当時の村長である糸賀氏がトレーニングセンターの誘致に乗り出して積極的な働きかけを行いました。

その甲斐あってか翌年1968年4月にはトレーニングセンター候補地として正式に選出され同年中に調印が行われて用地買収も開始されましたが、退去に伴う代替え地の要求が発生して用地買収の完了に約4年の年月がかかったため、1972年からようやく工事に着手することができました。

更に工事中にオイルショックの影響で工事が難航したりとかなり不運に巻き込まれながらも、1977年12月に全ての工事が完了いたしました。

美浦トレーニングセンターって見学できるの?

コロナウイルスが流行する前は、美浦トレセン内を見学できるツアーやイベントなどが行われていました。

G1レースがある週の水曜日に開催されていた「G1調教見学ツアー」や毎週土日に開催されていた坂路コースや競走馬スイミングプールなどの施設を見学する事ができる「施設見学ツアー」は人気が高いものとなっていました。

特にG1調教見学ツアーは、その名の通りG1レースに出馬する競走馬の追い切り調教を見学することができる見学コースだったため、かなりの人気を誇っていたようです。

追い切り見学の時にはなんと競馬実況アナウンサーが解説を行ってくれるようなので、かなり豪華なツアーなので競馬が好きな方には眉唾物のツアーと言えますね。

施設見学ツアーは施設内の見学を行うことができますが、調教の様子を見学することは出来ない分毎週土日に開催されていたようです。

今現在ではそういったイベントはまだ再開されていないですが、ターフプラザという施設に入ることが出来ます。

ターフプラザには美浦トレセン所属馬によるG1優勝パネルやレプリカのゼッケンが展示されていたりと競馬ファンにはたまらない展示物が飾ってあります。

また、南調教馬場を一望できるので時間帯によっては調教中の馬を見学することも出来ます。

栗東トレーニングセンターとの違いとは?

JRAが管理しているトレーニングセンターは、美浦トレセンの他に栗東トレセンが存在しています。

美浦トレセンと栗東トレセンには、どのような違いがあるのでしょうか?

早速解説していきたいと思います。

坂路コースの違い

美浦と栗東の違いで良く挙げられるのが坂路コースの差です。

美浦にある坂路コースは全長1200メートルで高低差は18メートルとなっており、勾配率は3.0%と言われています。

栗東の坂路コースは全長1,085メートルで高低差が20メートル、勾配率は3.5%となっています。

美浦の方が距離が長いですが、栗東坂路に比べると高低差と勾配率が低いものとなっているため、坂路コースでの調教効果は栗東の方が高いといわれています。

事実として、美浦所属の馬のG1出走率は栗東所属の馬のG1出走率に負けているというデータも出ており、数値上では僅かな差に見える二つが馬の調教に大きな影響を与えると考えられます。

何故同じJRA管理のトレーニングセンターにも関わらず、坂路コースにはこのような差があるのでしょうか?

その答えは立地にあります。

1985年に栗東トレセンの坂路が設置され、調教ノウハウが確立したあたりから関西馬の活躍が目立ち始めたことで坂路コースが競走馬の育成に効果があるといわれるようになりました。

そのため、美浦の厩舎関係者もその坂路コースの効果を求めてJRAに坂路コースの設置を求めましたが、美浦トレセンに坂路コースが実際に出来上がったのは1993年でした。

遅れた理由として、美浦トレセンは関東平野の平らな土地にあるためそのままの地形を利用した坂路コースを作れなかったこと、既に敷地内や周辺の土地の開発が進められていたために直線の坂路コースを設置する空間がなかったことが挙げられます。

坂路コースを設置して11年後の2004年に坂路コースの改修と拡張が行われましたが、それでも栗東トレセンの坂路コースに比べるとまだまだ勾配の規模が小さいものとなっており、民間の大手牧場や育成牧場に設置してある坂路コースの中には美浦トレセンの坂路コースを超えるような規模のものも存在しています。

今現在、美浦と栗東の設備格差をなくすための美浦トレセンの大規模改造を行っています。

その大規模改造には坂路コースも含まれており、勾配や距離は変わらないものの高低差が18メートルから33メートルと倍近く変わるため、西高東低の現状が変わることが見込まれています。

坂路コースの工事は2023年の秋に完了する予定なので、その後から坂路コースでの調教を行う馬たちがどのくらい活躍するのかしっかりと確認しておきましょう。

立地条件という違い

美浦トレセンと栗東トレセンの違いとして立地条件の違いも挙げられます。

栗東トレセンは東京競馬場まで6時間半、新潟競馬場までは7時間と時間は掛かるように見えますが、美浦トレセンからホームと言われている東京競馬場まででも2時間半、新潟競馬場へはなんと6時間かかります。

更に小倉競馬場へは栗東からは8時間に対して美浦からだとなんと19時間もかかってしまうため、小倉遠征をした関東馬はかなり不利な状況となります。

こういった点で見ると美浦トレセンの立地条件は栗東に比べると悪いと言えますね。

また、水質という点においても美浦トレセンは立地上の不利があります。

美浦トレセンでは、近隣の霞ヶ浦からの水道水が引かれているのですが、水を浄化するために薬品が使われているためお世辞にもいい水とは言えないようで、厩舎スタッフからは「そのままだとカルキ臭くて飲めない」といった声が上がっているようです。

水は新陳代謝を促すという大きな役割を担っているため、強い競走馬を育てるためには重要だと考えている調教師は多いため、どの厩舎でも浄水器を付けるのが当たり前となっているようです。

一方で栗東トレセンでは地下水を汲み上げて水を供給しており、関東馬が栗東トレセンに滞在している時によく水を飲んでいて、明らかに飲む量が違うと水質の違いが如実に表れたという話があります。

美浦トレセンの有名馬って?

上記では栗東と美浦の設備の差などを紹介してきて、「もしかして関東馬に強い馬はいない?」と思った方もいらっしゃるかもしれません。

そんな方の疑問を払拭すべく美浦トレセンの厩舎に居た名馬について紹介していきます。

シンボリルドルフ

1983年にデビューを果たしたシンボリルドルフは、日本競馬史上初の無敗でクラシック三冠を達成、更に史上初の七冠を達成した競走馬で、2023年現在関東馬でクラシック三冠を達成した最後の競走馬となっています。

馬名のシンボリは馬主の冠名、ルドルフは神聖ローマ帝国の君主に因んで名づけられて、成績と相まって「皇帝」と呼ばれることもあるほどの実力を持っていました。

競走馬引退後は種牡馬となっていましたが、2010年にジャパンカップが第30回を迎えたことを記念して東京競馬場でのパドック展示を行った際には、29歳という高齢でありながらも若々しい姿を競馬ファンに見せました。

しかし翌年の2011年10月に繁養先の千葉シンボリ牧場で亡くなりました。

サクラバクシンオー

サクラバクシンオーは1992年にデビューした競走馬で、1400メートル以下のレースでは12戦11勝という成績を残しているものの1400メートル以上では9戦0勝とかなり極端な成績を持つ競走馬です。

サクラバクシンオーが活躍していた時代は海外遠征もメジャーではなかった時代だった為、「速すぎた馬、そして早すぎた馬」と評されることも。

種牡馬としても優秀な成績を収めており、2010年7月に国産種牡馬としては3頭目となる産駒の中央競馬通算1000勝を見事に達成しましたが、翌年2011年4月に社台スタリオンステーションで亡くなりました。

アーモンドアイ

アーモンドアイは2018年にデビューした競走馬で、史上5頭目となる牝馬三冠を達成や史上2頭目の天皇賞(秋)を連覇、ジャパンカップで2勝を飾るという成績を収めている競走馬です。

最近まで活躍していた競走馬の為、名前を聞いたことある人や実際にレースを見たことある人もいるかもしれませんね。

アーモンドアイの引退レースである2020年のジャパンカップには無敗の三冠牝馬のデアリングタクト、同じく無敗の三冠馬コントレイルも出走しており。史上初の三冠馬3頭の夢の対決が実現しました。

序盤は4、5番手の位置で好走していましたが、残り200メートルで先頭の馬を交わして先頭となり、大外から迫ってくるコントレイルと背後から迫ってくるデアリングタクトの追撃に退かずにそのまま先頭で入線し、有終の美を飾りました。

引退後は繁殖牝馬として過ごしており、2022年1月に初子となる牡馬を誕生しました。

まとめ

この記事では美浦トレーニングセンターについてを紹介していきました。

開場の時から様々な問題に発生していた美浦トレーニングセンターは、開場した後も立地や坂路コースの設置が遅れるなど様々な課題に悩まされている施設です。

しかし今現在、美浦トレーニングセンターの大規模改造にてそういった課題が解決されつつあります。

改造工事が終わってからの美浦トレーニングセンターはどのように生まれ変わるのかというのは、競馬予想にも影響が出てくると思いますのでしっかりと注目しておきましょう。

本間真一郎

1978年12月22日生。東京大学経済学部中退。 某大手商社で役職に就く典型的なエリートでかなりの知的派。その一方で趣味の競馬歴は既に20年を超えており、2021年のエリ女で3連単を的中させたことを未だに友人に自慢している。 好きな馬はもちろんアカイイト。 趣味は車とウイスキー。最近横浜にバーを開店させたオーナーとしての一面もある。 好きな言葉は「明日の百より今日の五十」。

メッセージを残す