ヘニーヒューズって何?経歴は?種牡馬としての成績や産駒についても解説!
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ヘニーヒューズって何?
ヘニーヒューズは、アメリカ合衆国の競走馬・種牡馬です。
現役時はおもにアメリカ合衆国のダート短距離路線で活躍し、G1競走で2勝2着3回の成績を残しました。
種牡馬としては名牝ビホルダーを出した後、日本で出走した産駒が顕著な活躍を示したことから日本に輸入されました。
今回の記事では、そんなヘニーヒューズについてご紹介していきたいと思います。
ヘニーヒューズの活躍
1歳時のセリで18万ドルで落札され、2歳時に再びセリに出て37万ドルの値がつけられるも、希望額に達せず主取りとなっています。
パトリック・ビアンコーね調教師の元手デビューし、2戦目のステークスで15馬身差をつけるなど、いずれも完勝の3連勝で重賞初勝利を挙げています。
2連勝後にダーレーが非公開で購入します。
その後G1に挑戦するも、ホープフルステークス、シャンペンステークスで共にファースト侍に敗れて2着に終わっています。
シャンペンステークスの後、マクトゥーム家と関係の深い、キアラン・マクラフリン厩舎に転厩します。
ブリーダーズカップ・ジュヴェナイルではファースト侍に先着するも、スティーヴィーワンダーボーイに差されてまたも2着に終わりました。
レース後にシェイク・モハメドの長男シェイク・ラシェッドが率いる座ビールレーシングインターナショナルに馬主名義が変わっています。
1月中旬にドバイに移動し、シェイク・らしっどの所属馬を管理するアレック・レアード調教師のもとで調教を再開します。
春の目標をUAEダービーに設定し、距離不安からケンタッキーダービーへの参戦は考慮されていませんでした。
ただ、輸送などに時間を要したことから、この時点でレースへの復帰のめどは立てられない状況でした。
結局、調整が間に合わず、春は全休することになりました。
その後マクラフリン厩舎に戻り、2006年初戦は7月1日のジャージーショアーブリーダーズカップステークスで短距離路線を選択。
このレースを10馬身差の大差勝ちを収める。デビュー戦にも騎乗したジョー・ブラーヴォ騎手は当時と比較して「体に身が入って大人になった」と成長の跡を指摘しています。
続くキングスビショップステークスを5・1/4馬身差で勝利し、G1初制覇を飾りました。
この勝利に対し、鞍上のジョン・ヴェラスケス騎手は「私はただ乗っていただけだ」と、楽勝ぶりを語っています。
古馬との初対決となったヴォスバーグステークスも、2・3/4馬身差をつけて当時のレースレコードで快勝し、G1を連勝しました。
G1連勝で臨んだ大一番のブリーダーズカップ・スプリントでは、スタートでつまづき、馬群に包まれて先手を取れず、そのまま見せ場なく最下位に敗れ、生涯で唯一連対を外してしまいます。
この敗戦に対し、マクラフリン調教師は騎乗したヴェラスケス騎手の話として、「チャーチルダウンズ競馬場に適応できなかった」と敗因を述べています。
レース後、「この世代で最高の競走馬であることはすでに明らかであり、繁殖としても魅力的である」として、3歳での引退と種牡馬入りが決まりました。
結局ブリーダーズカップ・スプリントの敗戦が仇となり、エクリプス賞最優秀短距離馬の受賞は叶いませんでした。
ヘニーヒューズ産駒の特徴
日本に正式に繁殖されたのは2013年からですが、持ち込み馬としてアジアエクスプレスが朝日フューチュリティステークスを、モーニンがフェブラリーステークスを制しています。
日本に繁養されてからはニュージーランドトロフィーとユニコーンステークスを制し、地方GIかしわ記念勝ちのワイルドファラオを送り出しています。
ヘニーヒューズ産駒は総じて早熟傾向で、ストリームキャット系はパワー、スピード型が多く、馬体が筋肉質になりがちです。
その為、レースにおける消耗が激しく、爆発的なレースが出来る一方で、レース後は筋肉が硬直し、次のレースで成績を意図しやすいという傾向があるようです。
ヘニーヒューズ産駒は若駒ならスピードを活かし芝、ダートともに走りますが、産駒は1:3の割合でダート馬が多い傾向です。
産駒の平均走破距離は芝1300m、ダート1400mであることから分かるように、芝よりダートの走破距離が長く、距離はマイルまでの馬です。
それ以上の距離では成績が極端に落ちるようです。
ダートにおけるアーニングインデックスが1.75と優秀。
日本に繫養された時の種付料が300万円と格安であるにも関わらず、ダートでは重賞、特別レース、平場全てで勝率は10%を超えています。
またダートマイルまでにおける複勝率が30%程度と、マイル以下ならカネヒキリやゴールドアリュールより優秀なため、2021年度の種付け料が500万円まで跳ね上がっています。
ヘニーヒューズの代表的な産駒
ビホルダー
6月28日ハリウッドパーク競馬場の未勝利でデビューし4着。
2戦目で勝利を挙げると、GI初出走となったデルまーでビュータントステークスではエグゼクティブプリヴィレッジにハナ差及ばず2着となりますが、アローワンス競走の11馬身差圧勝を挟んで迎えたブリーダーズカップ・ジュヴェナイルフィリーズでエグゼクティブプリヴィレッジに雪辱を果たし、初のGI制覇を果たしました。
この勝利により、エクリプス賞最優秀2歳牝馬に選出されました。
年明け2戦目からGIを2連勝して迎えたケンタッキーオークスでは、伏兵プリンセスオブシルマーにゴール前で差し切られ、半馬身差の2着となりました。
前哨戦のゼニヤッタステークス1着を経てオブシルマー挑んだブリーダーズカップ・ディスタフでは同期のプリンセスオブシルマー、前年の覇者ロイヤルデルタとの三強対決を制して優勝し、プリンセスオブシルマーに並ぶ同年のGI4勝目を挙げました。
エクリプス賞最優秀3歳牝馬の選考では207票を獲得して42票のプリンセスオブシルマーに大差をつけて1位となり、2年連続のエクリプス賞受賞を果たしました。
シーズン初戦となったサンタルチアステークスを5馬身1/4差で圧勝ののち、6月のオグデンフィリップスステークスでは4着に敗れます。
ゼニヤッタステークスで連覇を果たしたのち、ブリーダーズカップ・ディスタフに向けて調整されていましたが、熱発により回避し、シーズンを終えています。
シーズン初戦となったサンタルチアステークス、続くアドレーションステークスを連勝して挑んだクレメント・L・ハーシュステークスでは後続馬に7馬身差つけGI競走7勝目を挙げました。
パシフィッククラシックステークスで牡馬相手に8馬身1/4差の圧勝劇を演じます。
続くゼニヤッタステークスも3馬身1/4差の環礁で3連覇を達成します。
ブリーダーズカップ・ディスタフは外相のため2年連続の会費を余儀なくされましたが、年間5千無敗の成績でエクリプス省最優秀古馬牝馬の座に輝きました。
なお、2歳時から5歳時まで4年連続でGI勝利を果たした馬は米国史上初でした。
シーズン初戦のアドレーションステークスを連覇し、続くヴァニティーマイルステークスでGI10勝目を挙げました。
しかし、次戦のクレメント・L・ハーシュステークスでは前走で下したステラーウインドの2着に敗れ、2014年のゼニヤッタステークスから続いていた連勝が8でストップしました。
パシフィッククラシックステークスでは当時の現役最強馬カリフォルニアクロームに挑みましたが、5馬身差の2着となります。
4連覇を狙って出走したゼニヤッタステークスもステラーウインドに敗れて2着に終わり、前人未到の快挙達成はなりませんでした。
ラストランのブリーダーズカップ・ディスタフでは11戦無敗の3歳馬ソングバードが断然の1番人気で、本馬はステラーウィンドに次ぐ3番人気でした。
レースでは逃げるソングバードに対して好位を追走し、直線ではほぼ2頭のマッチレースとなりました。
激しい叩き合いの末、最後は本馬がハナ差競り勝ち、3年ぶりのブリーダーズカップ勝利で有終の美を飾りました。
歴史的名牝同紙による一騎打ちは、北米競馬史に残る名勝負と称されました。
この勝利により、2年連続のエクリプス賞最優秀古厩牝馬を受賞し、通算エクリプス賞受賞は4回目となりました。
本馬の功績を讃え、ヴァニティーマイルステークスが2017年より「ビホルダーマイルステークス」に名称変更されました。
アジアエクスプレス
2013年11月3日、東京5Rダート1400mの新馬戦で鞍上ウンベルト・リスポリでデビュー。
直線で鋭く伸びて2着オータムラヴに5馬身差をつけてデビュー戦を勝利で飾りました。
11月23日、鞍上にライアン・ムーアを迎え、東京7Rダート1600mのオキザリス賞を7馬身差で圧勝しました。
当初は12月18日開催予定の南関東公営競馬交流重賞競走であるダートの全日本2歳優駿に出走を予定していましたが、除外となったため12月15日の芝の朝日杯ふーちゅりてぃステークスへ出走することになりました。
2戦目に引き続き鞍上ライアン・ムーアで挑み、最後の直線で逃げるブルカンとを交わして戦闘に立つと、後続のショウナンアチーヴ、ウインフルブルームを振り切り優勝、GI初優勝を果たしました。
鞍上のムーアは「芝でもダートでも勝てるというのは本当に特別な馬」と称えました。
1984年のグレード制導入後、芝コース未経験の馬が芝のGI級競走で優勝したのは初めてです。
3月23日のスプリングステークスが初戦として選ばれ、戸崎圭太が手綱を握ることになりました。
1番人気に支持され、中団から直線足を延ばしましたが、ろ詐欺冠ティアの2着に敗れました。
続く皐月賞では5番人気に推されました。
積極果敢にウインフルブルームの2番手でレースを進めますが、直線では最後まで食い下がって3着に粘ったウインフルブルームとは対照的に手ごたえが怪しくなりイスラボニータの6着に敗れました。
レース後、陣営はダート路線に再転向を示唆しました。
ダート再転向の初戦は6月22日のユニコーンステークスでした。
1.3倍の断然人気を背負いながらも直線は全く手応えが無く12着に沈みました。
休養を挟んで出走した8月10日のレパードステークスでは、前走大敗しながらも1番人気に押されると、期待に応えて2着のクライスマイルに3馬身1/2差をつけて圧勝し、復活を果たしました。
その後左前トウ骨遠位端骨折が判明、復活まで4ヵ月かかる見通しの為、年内は休養に入りました。
2015年3月26日の名古屋大賞典で復帰し、逃げたメイショウコロンボを直線で追い込みましたが、2着に敗れました。
4月18日のアンタレスステークスでは花を奪いましたが、直線でクリノスターオーとの競り合いに敗れ2着になりました。
5月の平安ステークスはインカンテーションの5着に終わりました。
その後、休養を挟み、8月のBSN賞に出走するも4着に敗れた後、脚部不安で1年3ヶ月の休養を設けました。
2016年11月20日の福島民友カップで復帰しますが、15着としんがり負けを喫しました。
そして12月9日付けで競走馬登録を抹消し現役を引退。
北海道新冠町の優駿スタリオンステーションにて種牡馬となりました。
モーニン
5月16日の京都競馬場ダート1400m3歳未勝利戦でデビュー。
4番手から押し切り、未出走馬ながら単勝2.5倍の人気に答えました。
続く2戦目は5月31日の東京競馬場ダート1600m3歳500万下に出走。
ここも5番手から押し切り、単勝1.5倍の圧倒的人気に応えました。
秋になり3戦目は9月21日阪神競馬場のダート1400mの新涼特別に出走しました。
逃げ馬の直後につけ、そのまま勝利し1.6倍の人気に答えました。
4戦目は10月24日東京競馬場ダート1600m秋嶺ステークスに出走。
ここも勝利し4連勝でオープン入りとなりました。
4連続の勢いで挑んだ重賞武蔵野ステークスでは、タガノト ネールを差し切ることができず、ノンコノユメの差し足にも屈し3着、初の敗戦を喫する事となりました。
年明け初戦は2016年1月31日東京競馬場のダート1400mの根岸ステークスに出走、早め先頭から押しきり重賞初制覇を成し遂げました。
フェブラリーステークスへの優先出走権を手に入れました。
2月21日にはフェブラリーステークスへ出走。
中団前の位置取りから早め先頭に立ち、後ろから差されることなくレコードタイムで優勝。
GI初挑戦で優勝となりました。
5月5日は船橋競馬場のダート1600mかしわ記念に出走し、2.4倍の1番人気押されるもスローペースの中、全く伸びることなく8着敗戦となりました。
その後も勝ちきれないレースが続いていましたが、2018年3月31日のコーラルステークスで久々の勝利を挙げました。
5月のかしわ記念6着の後、韓国へ遠征し、9月9日のコリアスプリントに出走。
道中後方追走から直線で外から一気に足を延ばして先頭に立つと、ファイトヒーローにアタマ差抑えて韓国GI初制覇を果たしました。
しかし、その後は入着はありましたが勝ち星を上げられず、2019年10月26日のスワンステークス18着を最後に現役を引退。
北海道新冠町の優駿ステリオンステーションで種牡馬入りしました。
ワイドファラオ
本馬を管理する角居勝彦調教師の不祥事に伴う調教停止処分を受け、デビューは臨時の転厩先である中竹和也厩舎で迎えました。
ヘニーヒューズ産駒でしたが、デビュー後ユニコーンステークスまでは一貫して芝路線を使われ、10月13日東京の新馬戦でデビュー。
道中警戒に逃げ、直線で懸命に粘るもパッシングスルーにかわされ2着となりました。
続く11月11日供与の未勝利戦でも同様の競馬で2着となっています。
12月8日中京の未勝利戦では道中好位追走から抜け出して3戦目で初勝利を飾っています。
4ヵ月ンも休養を挟み、4月6日に現役時は角居厩舎の所属だったウオッカの追悼競走として実施された、ニュージーランドトロフィーで実践復帰。好スタートを決めると道中軽快に逃げ直線でも脚色は衰えず、最後はメイショウ勝負の追撃をクビ差しのいで重賞初制覇を果たすと共に、NHKマイルカップの優先出走権を獲得しました。
本番のNHKマイルカップは9着に敗れましたが、その後6月16日のユニコーンステークスに出走し、初のダート戦となりましたが好スタートから逃げの手に出ると、直線ではデュープロセスの猛追をアタマ差振り切り、重賞2勝目を挙げました。
夏は休養し9月12日のオーバルスプリントで復帰、3番手からレースを進めましたが、逃げるノブワイルドを捕まえられず2着に敗れました。
次走のみやこステークスはやや離れた5着に終わりました。
続く12月1日のチャンピオンズカップは14着と惨敗しています。
4歳初戦となった根岸ステークスは5着に入りました。
ユニコーンステークスと同じ舞台で行われるフェブラリーステークスは逃げるも12着と惨敗に終わりました。
その後は放牧され5月5日のかしわ記念に出走、7頭立て、うち地方所属馬1頭と少頭数で行われ、本馬は6番人気と低評価での出走となりましたが、最内枠を利して逃げると2着ケイティブレイブに2馬身差をつけ押し切りJpnI初勝利を飾りました。
続く帝王賞でも果敢に先手を取り4着に粘りました。
その後は休養し半年ぶりのレースとなったマイルチャンピオンシップ南部杯は7着に敗退。
続くみやこステークスは別定59㎏で出走し、10頭立て9着とブービーに敗れました。
その後後背腰の疲れが出たため休養に入りました。
3か月ぶりのレースとなったフェブラリーステークスは28日に勇退する角居勝彦調教師最後の挑戦となりました。
レースは逃げるも14着と大敗に終わっています。
続くさきたま杯は好位から運び一旦は抜け出したもののアルクトス、エアスピネルに交わされ3着に敗れました。
変則開催の影響によって小倉1700mで行われたプロキオンステークスは他馬より2㎏思い58㎏で出走し8着に終わっています。
次走には京成杯オータムハンデキャップでNHKマイルカップ以来となる芝のレースを選択。
鞍上は柴田善臣に乗り替わりました。
道中目前につけましたが、馬郡に沈み9着に敗れました。
続くマイルチャンピオンシップ南部杯は福永に騎乗が戻りましたが、5着、11月の武蔵野ステークスは10着、12月の兵庫ゴールドトロフィーは4着とこの年は未勝利に終わりました。
2022年3月27日のマーチステークスで復帰しましたが14着と大敗。
5月3日のカキツバタ記念では6着でした。
5月6日付でJRAの競走馬登録を抹消、大井競馬場に移籍しました。
転入初となる6月30日の浦和スプリントオープンで2着に入りました。
その後の重賞2戦は共に着外に終わり、9月20日付で地方競馬の競走馬登録を抹消されました。
まとめ
今回の記事では、ヘニーヒューズについてご紹介していきました。
ヘニーヒューズの産駒は早熟芝よりもダートで活躍するという傾向がある様でした。
2017年に初年度生産馬がデビューしてからリーディングでも着々と順位を上げるなど活躍の場を広げていっているようです。
ヘニーヒューズについて気になった人は是非チェックしてみてください。