ハーツクライって何?経歴は?種牡馬としての成績や産駒についても解説!

ハーツクライって何?経歴は?種牡馬としての成績や産駒についても解説!

ハーツクライって何?

ハーツクライは日本の競走馬・種牡馬です。

2004年の日本ダービー、2005年の宝塚記念とジャパンカップでそれぞれ2着に好走するなど最前線で活躍し、続く2005年の有馬記念を制してグランプリホースの栄冠を手にし、続くドバイシーマクラシックを完勝し、名馬とされ、日本調教馬で唯一ディープインパクトに先着した競走馬としても知られている。

その他、2006年の英G1・キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスで3着に好走したことや、アルカセットに惜しくも届かずハナ差2着で敗北を喫したジャパンカップで2分22秒1という当時のタイレコードを記録するなど、印象深い現役生活を送っています。

今回はそんなハーツクライについてご紹介していきたいと思います。

競走馬時代

父は1995年から13年連続でリーディングサイアーに選出されたサンデーサイレンスで、母は1995年の新潟大賞典、新潟記念等で中央競馬で9勝を挙げたアイリッシュダンスです。

馬名は母の名前から連想してダンスパフォーマンスの「リバーダンス」中の1曲『ザ・ハーツクライ(The Heart’s Cry)心の叫び』から名付けられました。

2004年1月の京都競馬場の3歳新馬戦(芝2000m)で武豊を鞍上にデビューし、1番人気に応え難なく勝利し、次のきさらぎ賞では1戦のキャリアながら3着に入り素質の高さを見せます。

その後若葉ステークスでスズカマンボとの叩き合いを制しました。

3歳牡馬クラシック第一弾皐月賞は5番人気に推されるも、ダイワメジャーの14着と大敗。続く京都新聞杯では再びスズカマンボに競り勝ち、重賞初制覇を果たしました。

迎えた東京優駿(日本ダービー)では直線で大外から追い上げ、3着のハイアーゲームを捕らえるがキングカメハメハのレースレコード勝ちの前に屈し、2着となりました。

鞍上の横山典弘はレース後、「現時点では完成度の差」としつつも「この馬は走るよ。凄い能力」と語っています。

秋になり、再び武豊を背に神戸新聞杯に出走するもキングカメハメハの3着に終わりました。

キングカメハメハ不在の菊花賞ではダービー2着が評価され1番人気に支持されたが、デルタブルースの7着に終わり、クラシック競走優勝は果たせませんでした。

その後、3歳馬ながらジャパンカップと有馬記念を連戦するが、菊花賞から馬体重が12kg減ったジャパンカップは10着、キャリアで最低体重の472kgで挑んだ有馬記念は9着に敗れています。

2005年初戦の大阪杯は直線だけで追い込みサンライズペガサスの2着。

続いて天皇賞(春)では追い上げるもスズカマンボの5着に敗れました。

次に挑んだ宝塚記念でも11番人気のスイープトウショウにクビ差及ばず2着と、春は惜しいレースが続きました。

その後放牧に出されるが、管理調教師である橋口弘次郎は「放牧が明けて秋になると、春とは別の馬のように馬体が成長した」とコメントしています。

秋初戦、トライアル競走を使わずに天皇賞(秋)に出走。

2004年の東京優駿と同年の有馬記念以降同馬に騎乗してきた横山典弘がゼンノロブロイに騎乗したため、短期免許で来日中のフランス人騎手のクリストフ・ルメールが騎乗し、その後も引退まで騎乗を続けました。

結果はスローペースということもありヘヴンリーロマンスの6着でしたが、上がりタイムの32秒8は前走敗れたスイープトウショウ(5着)と同じであり、将来への期待を失わないものでした。

続くジャパンカップは、後方から馬群を掻き分けて追い込み、ホーリックスが1989年に記録したレースレコードを0.1秒上回る2分22秒1の日本レコードタイムで入線し、イギリス調教馬のアルカセットと同タイムながらハナ差3センチの2着に敗れています

その後ファン投票6位に推され、有馬記念への出走を決めます。

迎えた第50回有馬記念では、鞍上のクリストフ・ルメールがこれまでの追い込むスタイルを一転させ大胆な先行策をとって成功し、無敗で三冠を制してこのレースに臨んできた圧倒的1番人気ディープインパクトの追撃を押さえ、半馬身差で初のGI制覇を達成しました。

この勝利と年間を通じてのGI戦線での活躍が評価され、JRA賞で2005年度最優秀4歳以上牡馬に選出されました。

また有馬記念後、橋口は翌年にハーツクライの海外遠征プランを明らかにしました。

2006年の初戦として選んだのは、3月のドバイシーマクラシックでした。

事前の同じ橋口厩舎のユートピアとの追い切りでは、馬なりで上がり3ハロン33秒台という破格の時計を出し、本番では有馬記念と同じく、逃げ先行の作戦で、直線ではムチを入れることなくOuija Board(ウィジャボード)ら後続を突き放し2着に4馬身差をつけ勝利しました。

同年7月には欧州最高峰の競走の1つ、キングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスへ出走。

ハリケーンランに次ぐ2番人気に支持されました。

1970年以来の6頭立てという少頭数となり、終始3, 4番手を追走して、最後の直線で一度は先頭に立つなど健闘したものの、3着に終わりました。

レース後、橋口は「イギリスへ来て馬が寂しがっていたのは意外だった。来年は帯同馬を連れて、再び同レースにハーツクライを挑戦させたい」と語っています。

同年の日本初戦となったジャパンカップでは、凱旋門賞出走後のディープインパクトとの有馬記念以来の再戦ということもあり、注目されました。

しかしレース前にハーツクライが喘鳴症を発症していることが公表され、不安が残る中での出走となりました。

そして2番人気で迎えたレースではスタートから先行し、ライバルであるディープインパクトが最後方につける中、ハーツクライは道中3番手を進み、最後の直線を迎えたが、近走の様な手応えがなく、見せ場なく沈み11頭立ての10着と大敗しました。

橋口は大敗を喘鳴症の影響によるという見方を示し、オーナー及び関係者協議の結果11月28日に現役引退が発表され2007年より種牡馬入りが決まりました。

種牡馬時代

繋養先は北海道勇払郡安平町の社台スタリオンステーションで、初年度の種付料は500万円となり、春から供用されてその後99頭が受胎しました。

翌2008年、第1号の産駒となる栗毛の牡馬を、自身の生まれ故郷である社台ファームで繋養されているメイボールが1月16日に出産しました。

2010年に初年度産駒がデビューし、7月24日の小倉競馬場の新馬戦で、バラードソングが産駒としての初勝利を挙げ、2011年4月30日の青葉賞でウインバリアシオンが産駒のJRA重賞初勝利を挙げています。

2013年10月27日の天皇賞(秋)でジャスタウェイが優勝し、産駒のJRAGI初勝利を挙げました。

さらにジャスタウェイは2014年のドバイデューティーフリーを制し、日本競馬史上初となるドバイミーティング親子制覇を達成しました。

2014年5月25日の優駿牝馬(オークス)ではヌーヴォレコルトが勝利。

産駒の牝馬GI初制覇を達成しました。

翌週の東京優駿(ダービー)ではワンアンドオンリーが優勝。自身が成しえなかった東京優駿制覇を達成し、翌週の安田記念でもジャスタウェイが勝利し同一産駒での3週連続G1制覇を達成していています。

2018年9月1日にはヨシダがウッドワードステークスを勝利。日本生産馬による史上初の米ダートG1勝利となりました。

2019年の有馬記念をリスグラシューが制して有馬記念の父娘制覇を達成。

くしくもディープインパクトも有馬記念の父娘制覇を達成していますが、有馬記念の父娘制覇はこの2例のみです。

2020年をもって種牡馬を引退し2021年生まれの産駒が最終世代となりました。

種牡馬引退後は引き続き社台スタリオンステーションで功労馬として繋養されました。

2023年3月9日、起立不能となり、22歳でなくなっています。

なお、2005年の天皇賞(秋)以降、ハーツクライの主戦ジョッキーとなっていたルメールは、ハーツクライ死亡2週間後に行われたドバイシーマクラシックにおいてイクイノックスに騎乗し、ハーツクライの時と同じように逃げて勝ちを収めました。

レースの後、ルメールは「僕がこのレースを勝つのは、2週間前に亡くなったハーツクライ以来。彼に敬意を表する機会を与えてくれたイクイノックスに感謝したい」と述べています。

ハーツクライ産駒の傾向

ハーツクライ産駒の特徴

ハーツクライ産駒の特徴は、同じサンデーサイレンス系列の種牡馬の中でも長距離向きで晩成型が多くなっています。

但し長距離タイプが多いと言っても菊花賞となると、同じサンデーサイレンス産駒のディープインパクトやステイゴールドの方がいい印象があります。

ハーツクライ産駒はやはり東京競馬場が向いているような気がします。

また距離の延長や短縮での好走が目立ちますが、あくまでも芝で好走が目立つようです。

ハーツクライ産駒の馬場適正

ハーツクライ産駒は芝での好走が目立つので一般的にダートは苦手だと思われています。

ところがデータで見ると決してダートに弱いという印象はありません。

馬場状態は重馬場も走れますが、基本的には良馬場を好む傾向があります。

特に芝レースでは、良馬場の方が期待できると思います。

また、東京競馬場が向いていると説明しましたが、小回りの競馬場が苦手かというとそうではなく、実は得意な傾向が出ています。

何ともつかみ所の難しいハーツクライ産駒ですが、自身もそうであったように大舞台での好走も多くなっているので、常に要注意の産駒だと考えられます。

ハーツクライ産駒のヨシダとは

ハーツクライ産駒の中にヨシダという馬がいるのをご存じでしょうか。

ノーザンファームの吉田勝巳氏が生産者だというのが名前の由来になっています。

父はハーツクライですが、母のヒルダズパッションが吉田氏に購入された繁殖牝馬だからこのような名前になったようです。

日本の競馬ファンにはあまり馴染みがないのは当然で、ヨシダは主戦場がアメリカとなっています。

生涯成績は11戦5勝で、2018年(4歳)でGIターフクラシックステークスとウッドワードステークスを制しています。

このウッドワードステークスは日本生産馬として初のアメリカダートGIを獲得したことになります。

代表的なハーツクライの産駒

ジャスタウェイ

2009年生まれのジャスタウェイはハーツクライ産駒を代表する1頭です。

安田記念や天皇賞(秋)、ドバイデューティーフリーといったさまざまなレースで勝っています。

特にドバイデューティーフリーでは2着の馬に6馬身という圧倒的な差を付け、1分45秒52というレコードタイムを叩き出しました。

このレースが国際クラシフィケイションに評価され、単独1位にランクインされました。

1位へのランクインは日本競馬史上初の快挙になります。

ジャスタウェイはハーツクライ産駒らしく本格化は遅めで、4歳の秋ごろから一流馬の仲間入りを果たしています。

現在は種牡馬として活躍しており、産駒も活躍しています。

ワンアンドオンリー

ワンアンドオンリーは2011年産まれのハーツクライ産駒です。

ラジオNIKKEI杯2歳ステークスや東京優駿、神戸新聞杯といった勝ちレースがあります。

新馬戦では大敗し、あと一歩のところで勝てないワンアンドオンリーでした。

しかし第81回東京優駿では皐月賞をとったイスラボニータをかわしてゴールし、第81代日本ダービー馬となりました。

父ハーツクライが成し遂げることができなかった日本ダービーを、仔のワンアンドオンリーが成し遂げる形になったのです。

2017年に現役を引退し、現在は種牡馬として活躍しています。

ヌーヴォレコルト

ヌーヴォレコルトは2011年産まれの競走馬です。

2013年に新馬戦に出走しましたが結果は振るわず、4着となります。

現役生活ではハープスターと競うことが多かったヌーヴォレコルトですが、負けることが多く、2014年の優駿牝馬で初めて勝ちを得ました。

他の産駒のように勝ち続けるというよりは2位、3位を常にキープする善戦タイプといわれていました。

母の父がスピニングワールドということもあり、血統的にはスピートが持ち味の競走馬でした。

ヌーヴォレコルトは6歳まで現役を務め、その後繁殖牝馬として活躍しています。

シュバルグラン

シュヴァルグランは元プロ野球選手の佐々木主浩さんが馬主になったことで話題になりました。

近親にはヴィルシーナやヴィブロスなどの優秀な馬が揃っています。

デビュー当初は2000mを走っていたが惜しくも勝つことができず、2着や3着という結果に終わっていました。

しかし、3歳になってから距離を2400mに伸ばした結果、500万条件・1000万条件・準オープン(1600万条件)と3連勝することになるのです。

4歳になってからはさらに距離を伸ばし、阪神大賞典で3000mに挑戦します。このレースでは2着に2馬身半という差をつけて圧勝、長距離に強いことをアピールします。

その後は結果が振るわず、2着・3着という結果を残したまま7歳まで現役を勤め上げたのでした。

まとめ

今回はハーツクライについてご紹介していきました。

ハーツクライは日本調教馬で唯一、ディープインパクトに先着したことで知られており、ハーツクライ産駒もさまざまなレースで活躍しています。

レースで勝ちが多いというよりは、現在種牡馬として活躍している馬です。

ハーツクライ産駒にはジャスタウェイやワンアンドオンリー、シュヴァルグランなど個性豊かな競走馬がたくさん誕生しています。

現在では種牡馬になっているハーツクライ産駒もいますので、気になる方は是非チェックしてみてください。

本間真一郎

1978年12月22日生。東京大学経済学部中退。 某大手商社で役職に就く典型的なエリートでかなりの知的派。その一方で趣味の競馬歴は既に20年を超えており、2021年のエリ女で3連単を的中させたことを未だに友人に自慢している。 好きな馬はもちろんアカイイト。 趣味は車とウイスキー。最近横浜にバーを開店させたオーナーとしての一面もある。 好きな言葉は「明日の百より今日の五十」。

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