DAIGOって誰?競馬を始めたきっかけは?競馬予想の実力や予想方法、予想が見れる場所を紹介!

DAIGOって誰?競馬を始めたきっかけは?競馬予想の実力や予想方法、予想が見れる場所を紹介!

daigoって誰?

daigoは、1978年(昭和53年)4月8日生まれで日本のシンガーソングライター兼ミュージシャン兼タレント兼俳優兼司会者です。

3人組ロックバンド・BREAKERZのボーカルで旧芸名はDAIGO☆STARDUST(ダイゴ☆スターダスト)です。

本名は内藤 大湖(ないとう だいご)といい、血液型はAB型、身長は178cmの東京都世田谷区出身。

所属芸能事務所はタレントとしてはA-PLUS、歌手活動ではBeingに所属です。

母方の祖父は元衆議院議員で、第74代内閣総理大臣の竹下登、父方の祖父は実業家の内藤用一郎、父は竹下登の秘書を務め、後にKBS京都の役員(常務社長室長)に就いた内藤武宣です。

姉は漫画家の影木栄貴で妻は女優の北川景子です。

2003年にメジャーデビューし、2007年にBREAKERZ結成を機にDAIGOに改名しました。

見た目からは想像が出来ないかもしれませんが、daigoさんは実は大の競馬好きで、競馬歴は30年以上にも上るそうです。

今回はそんなdaigoについてご紹介していきます。

1978年~2001年(誕生からインディーズバンド時代)

1978年4月8日午後1時2分、東京都中野区で誕生し、3歳から小学3年生の夏までを千葉県市川市で過ごしましたが、祖父が総理大臣に就任することに伴い再び東京都へ移住しました。

玉川学園中学部・高等部を経て玉川大学文学部芸術学科(音楽専攻)中退しています。

中学3年の時、兄の持っていたBOØWYのCDをきっかけに、音楽に目覚め、当初はクラシック・ギターを習いに行ったがすぐに辞め、独学でエレキギターを練習しました。

その後、友人と行ったカラオケで一番上手かったため、ヴォーカルを目指すことになりました。

また、現在の所属レーベル・ビーイングの先輩であるB’zの大ファンであり、彼らの影響も受けたと自身のブログで語っています。

高校1年生でコピーバンドを結成し、高校3年生でボイストレーニングを始めました。

高校2年生でモテることに目覚め、校内自分プロモーションの結果、憧れの先輩ランキング3位になったことも重なり、卒業前の学園祭で組んだバンド(JZEIL)が大好評となり、卒業後も続けることになります。

ライブは後輩や友人らが来て満員となり、すぐに事務所がついたほどでした。

SIAM SHADEの後輩バンド・JZEIL(ジェイル)のボーカルとして活動し、当時は様々なヴィジュアル系バンドが活動する中で、金髪と派手なメイクとセクシーな衣装がトレードマークでした。

各音楽誌からは「何と言ってもカリスマボーカリストであるDAIGOが聴き手を吸い込んでしまうほどの独自の世界観を演出」、「ロックシーンを塗り替える」という期待を受けプロへの誘いもありましたが、良い結果が出せず2001年9月25日バンドは解散しました。

自身は「2ndミニアルバムはカッコ良い曲はカッコ良いんですけど、俺のキャパを超えている曲もあったりして、すごいシャウトする曲とかは自分の声質に合わない。それでちょっとずつ、よりヘビーな方に行きたいっていうメンバーとキャッチーなメロディがあるものを歌いたいっていう俺が分かれて来て、ちょっとここらで1回離れた方がいいんじゃない?って切りだしたんですよね」と語っています。

デモテープ2本、インディーズCD1枚、ミニアルバム2枚をリリースし、当初のヴィジュアル系ルックスから、1stミニアルバムでグラムに楽曲は普通のロック、1stフルアルバムで楽曲は洋楽テイストに変化、パンチの強いヴォーカルや高い張り上げヴォイスは現在の面影がないほどでした。

年間100本のライブを行い、韓国へも行きました。

2001年~2007年(DAIGO☆STARDUST)

バンド解散後、「DAIGO with The space toys」という名前でソロ歌手としての活動を始め、河村隆一のライブのオープニング・アクトが初ステージでした。

地道にライブハウスなどでの活動を続けていた2003年、彼を撮影していた写真家の加藤正憲によって氷室京介を紹介され、1対1で会うこととなります。

その際に才能を見出され、「何かしら力になってあげたいよね」とのことで氷室自らデビュー曲のプロデュースを申し出ました。

以前からBOØWYより多大な影響を受けていた彼にとっては願ってもない出来事だった。

そして2003年7月21日、25歳でDAIGO☆STARDUST(ダイゴ スターダスト)、略称は“D☆S”。

ファンの総称はSTARDUST軍団として、氷室自身が再始動する際に作曲した「Claudia」の曲に違う詞をのせた形の「MARIA」でメジャーデビューを果たしました。

当時は「竹下登の孫」である事実を公表していませんでした。

リスペクトしてやまない人物の一人デヴィッド・ボウイの火星から舞い降りたロックスター「ジギースターダスト」から名前をとり、本人曰く「カメレオンのように変化していく人に惹かれます。デヴィッド・ボウイを見習ってばりばりのグラムでやることにした」とのことです。

デビュー当時、ドラマやCMに出演するなど期待されていましたが売れず、「一つの新しい発明」くらいに真剣にやっていたものが、「そもそもスペイシーってどうなの?」「自分でも一回フラットに考えたいな」と思い、事務所に話しフリーに戻る。

2006年10月、レコード会社との契約が切れたが、活動は続けた。セックス・ピストルズをカバーしたり自身の曲をパンクにしたDAIGO☆PUNKSの活動も行いました。

「後期からだんだん書く曲もバンド感が濃くなって」「そろそろ新しいことをしたい。暴れたい感じ。シャウトしたい」「メロディが奇麗な曲が大好きで、そういう歌を中心に歌ってきたんですけど、そこからはみ出したい」といった理由から2007年6月4日、DAIGO☆STARDUSTを封印し、2010年2月、1曲だけ披露しました。

バンド名やバンドのコンセプトは元彼女の星ひとみにちなんでいます。

2007年 – 2013年(BREAKERZ)

2007年に音楽活動の拠点をビーイングに移し、3人組ロックバンド・BREAKERZとして活動を開始したと同時にDAIGOに改名し現在に至ります。

「BREAKERZは終電」「生涯最後のバンド」とし、バンド名には「自分の限界やジャンルの壁をブッ壊して新しいモノを作っていく」という思いが込められています。

同年7月25日、1stアルバム「BREAKERZ」でデビューしました。

当初はクールなロックバンドを目指しMCでは笑わないというルールで、楽曲もJZEILに比べメロディ主体で、また現在と比べると洋楽風であったりダークな世界観がありました。

同年10月、姉の影木栄貴に『世界バリバリ☆バリュー』“私の家族は有名人”特集の出演依頼が来た際、姉はバンドを結成したばかりのDAIGOをメインに使うことを条件に出演を許可しました。

家族全員と自宅を公開しなければいけなかったため「おばあちゃん(竹下直子)が駄目と言ったら断念だね」という話をしていましたが、祖母は快諾し、家族で出演し話題となりました。

後日VTRを見た番組スタッフがDAIGOを気に入り、スタジオゲストとして何回か出演しました。

タレント事務所(A-PLUS)に勤めていた元クラスメイトにマネージメントについて相談し、事務所社長と会うことになり、社長はDAIGOのキャラを大絶賛、タレントとしてのDAIGOが誕生しました。

改名後のDAIGOは「竹下登の孫」であることを公表、同時にBREAKERZの知名度も上昇にもつながりました。

また、元首相の孫とは思えぬ若者言葉で話すギャップや、親指を立てたコルナで手の甲を表に向け、腕をクロスさせるポーズと共に発する「うぃっしゅ!」という決め台詞が流行するなど、テレビタレントとしても人気を博しています。

1stシングル「SUMMER PARTY」2008年7月、オリコンチャート10位となりました。

以降トップ10内連続チャートインは「せっかくだしちょっとロックと自分の個性「自分ではフツーだと思ってたこの“しゃべり”」、メディアリンクも含めてそういう曲を!」と作り、タレント活動について他のメンバーも「バンドの彩りを豊かにしていく」と前向きに捉えています。

ライヴは「基本ロックだけれど初めて見る人でも楽しめるようエンターテイメントに」また、BREAKERZが男性ファン2%ということに対し「男性ファンが増えてくれるのはもちろん喜ばしいですけど、俺は女性ファンのほうがうれしいです(笑)」と語っており、「テレビなんか出ないぜ!っていうロッカーなスタイル、俺はすごい好きです。だけど俺の場合、固定観念に縛られてると逆に表現に足かせがかかっちゃう。だから、自分のスタイルを貫くことこそ、ロックだと思うんだ」「今は、歌もバラエティーもすべてガチでやりたいんです。やらせてもらえる今の環境にいるからこそ、オファーには期待をすべて裏切らないように応えたいんですよ。ニーズには応えたいタイプなんでね(笑)」「今は何でも挑戦したい年ごろ(笑)」「“人を楽しませたい欲”が強い」と語りドラマ、ミュージカルなどに出演を果たしました。

2013年~2014年(再びソロへ、DAIGO☆STARDUST復活)

2013年4月BREAKERZのさらなる飛躍のためそれぞれがソロ活動を開始、DAIGOは2013年7月31日ソロ第一弾シングル「いつも抱きしめて/無限∞REBIRTH」を発売しました。

「バンドサウンドはBREAKERZで満足してる。だから逆にBREAKERZでできないことを」と話しデジタル系楽曲や一部本格ダンスにトライしました。

そして7月12日にDAIGO☆STARDUSTとして10年ぶりの復活ライブ[帰ってきたDAIGO☆STARDUST]を行いました。

一夜限りの復活ライブとなる予定でしたが、あまりに反響が大きかったため、7月26日、渋谷公会堂にて追加公演[帰ってゆくDAIGO☆STARDUST]を行い、DAIGOとしてのライブツアーも行われました。

2015年以降(BREAKERZ再始動、結婚)

2015年5月20日、15枚目シングルにてBREAKERZを再始動、「今後はエンタメ感というより、もっとロックに振り切ったBREAKERZを目指してやっていこうと思ってます」とし、ソロ活動も引き続き行っているようです。

2015年5月19日放送分の『幸せ!ボンビーガール』にて『第38回 24時間テレビ 「愛は地球を救う」』のチャリティーマラソンランナーに任命され、翌週5月26日放送分の生放送部分にてランナーとしての役割を「HM(走ります)」と承諾。

8月22日にマラソンがスタートし、翌23日20時44分に完走しています。

2016年1月11日には、女優の北川景子と結婚したことを所属事務所を通して発表しました。

婚姻届は東京都内の区役所に代理人を通じて提出。同日、都内にてツーショットで記者会見を行いました。

同年4月29日、都内で挙式を行い、グランドプリンスホテル新高輪で披露宴を行いました。

北川へのプロポーズソング「KSK」(DAI語で”結婚してください”)をも書き下ろし、DAIGO自身のソロ名義で同年6月15日にリリースしました。

北川とは交際に至る数年前の2011年に『LADY〜最後の犯罪プロファイル〜』(TBS)初回で共演している。

ちなみに入籍日がぞろ目だったこともあってか午前11時11分にちょうど出したそうです。

2020年4月22日、妻の北川の第1子妊娠が報じられ、北川が自身の公式サイトで妊娠を正式に報告しました。

同年9月7日、第1子となる女児が誕生したことを自身のブログで報告し、2021年10月7日、『ZIP!』の木曜パーソナリティーに就任しました。

競馬に出会ったきっかけ

daigoさんは1990年代前半、ちょうど20歳を過ぎたころに初めて馬券を購入したようです。

初めて馬券を手にしたときは思わず感動したとのこと。

なお、初めて購入した馬券の結果はほとんど覚えていないそうですが、購入した場所は渋谷のWINSだったそうです。

競馬にハマったきっかけとして大きいのがダビスタとオグリキャップだったようです。

ちなみに、一番最初に競馬に興味を持ったのは何と小学生の頃らしく、その頃に流行っていたダビスタを通して競馬に関する知識を得ていたようです。

また、その当時ゲームセンターにはアイドルホースだったオグリキャップのぬいぐるみが何種類かあったらしく、全種類集めたいと思っていたほどだそうで、馬券を購入出来る年齢になってから競馬好きに拍車がかかったそうです。

最も思い出深い馬

daigoさんにとって最も思い出深い馬はトウカイテイオーとのこと。

トウカイテイオーは現役時代に何度も怪我に泣かされていた馬でしたが、大きなけが明けに挑んだ1993年の有馬記念で奇跡の復活を遂げた時は涙がこぼれたとのこと。

今でこそ外厩が整い、ぶっつけのローテーションも当たり前になりましたが、当時はぶっつけは無謀といわれていた時代で、しかも1年ぶりのけが明けとで勝つ姿に心を打たれた人は少なくないでしょう。

最も印象深いレース

daigoさんは競馬番組の司会者として、ビッグレースが開催される時には現場に足を運んだりもします。

2012年の凱旋門賞にも日本馬であるオルフェーブルが参戦するため、応援にフランスまで遠征しています。

目の前でオルフェーヴルが抜け出した時は、「ついに日本馬が悲願を達成する」と思うと、興奮が冷めなかったようです。

結果的にはオルフェーヴルはよれて2着入線という結果でしたが、そのインパクトのある走りを目の前で見られたことが印象に残っているそうです。

daigoの予想方法

調べてみたところ、DAIGOは本命党である傾向が強いようです。

過去の本命馬について見てみると、人気どころが多くなっていました。

1番人気の馬を本命にすることも珍しくありません。

強い馬が強い勝ち方をするというのが、競馬の醍醐味であると考えているようです。

また、予想傾向として、過去の実績や前走でのレース内容を重視しています。

前走で良い勝ち方をした馬を、本命馬として選ぶ傾向が強くなっていました。

本命馬の相手には、中穴の馬を選ぶのも特徴です。

ワイドを駆使して、人気馬と中穴の馬を絡めた予想を披露しています。

驚くような高配当は期待できないかもしれませんが、堅実な予想をしているタレントとして注目です。

daigoの予想を見れる場所はある?

マルチで活躍されているdaigoさんですが、競馬の実力も言わずと知れています。

そんなdaigoさんの競馬予想を参考にしたいという方も少なからずいるのではないでしょうか。

以下ではdaigoさんの競馬予想を見ることができる方法をご紹介します。

フジテレビ系列「みんなのKEIBA」

まずご紹介するのは、フジテレビ系列で放送されている「みんなのKEIBA」です。

「みんなのKEIBA」は日曜日の午後3時~午後4時の間に放送されています。

「みんなのKEIBA」では、daigoさんは番組の司会を務めています。

さらに、番組内で対象とされたレースの予想を番組内で発表するなどしています。

しかし、西日本では関西テレビの「KEIBABEAT」が放送されている為、視聴が出来ません。

深夜番組「馬好王国~UmazuKingdom~」

次にご紹介するのは、フジテレビで日曜日の午後1時15分から45分の30分間で放送されている「馬好王国~UmazuKingdom~」です。

「馬好王国~UmazuKingdom~」は、競馬の面白さを発信する競馬番組で、競馬を楽しむことを第1に考えられている番組です。

ここでもdaigoさんのレース予想を見ることができ、基本的に予想を公開するのがGI開催週となっています。

GIウィークでは翌日のGIレースの展開や予想を出演者と共に予想しており、この時にdaigoさんの予想を見ることができます。

まとめ

今回の記事ではdaigoさんについてご紹介していきました。

競馬好きの著名人の中でも、特に活躍されているdaigoさんは予想においても信頼度の高い情報を提供してくれています。

daigoさんの予想は本命重視で的中率も高いので、この記事を読んで気になった方や、初心者の方は是非参考にしてみてください。

本間真一郎

1978年12月22日生。東京大学経済学部中退。 某大手商社で役職に就く典型的なエリートでかなりの知的派。その一方で趣味の競馬歴は既に20年を超えており、2021年のエリ女で3連単を的中させたことを未だに友人に自慢している。 好きな馬はもちろんアカイイト。 趣味は車とウイスキー。最近横浜にバーを開店させたオーナーとしての一面もある。 好きな言葉は「明日の百より今日の五十」。

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